カギと防犯のことならカトウロックサービスにご相談ください。

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美和ロックサービス代行店SD

ギャラリー鍵と錠



ギャラリー鍵と錠について


カトウロックサービス店内に併設して
店主が約50年に渡って収集した骨董品としての
内外の錠前が500点程、各国別に入場無料で展示しています。
それぞれにいわく、因縁、故事、来歴があり、一つ一つを説明しますと一週間かかります。
ご興味がある方の御来店をお待ちしています。


【新型コロナウイルス感染防止対策のため当面の間対面のご案内はご遠慮いただいております】
        







カトウコレクション 

~ここでは店主自慢のコレクションをベスト10という形でご紹介します~



【第10位】 土蔵の蔵
扉の高さ210cm、幅112cmの漆塗りのけやきの1枚板を用いた豪壮な造りです。
表面上部に浮世絵師「国芳」描く、川中島の戦いで武田信玄に切りかかる上杉謙信の武者絵が、
下部に謙信が篤く信仰していた毘沙門天の旗印が彫金してあります。
それもそのはず、上杉家ゆかりの子孫の土蔵の扉なのです。
現在は当店入口のドアとして実動しています。(新潟県)



【第9位】 バンバラ錠
アフリカ北西部に住むバンバラ族が古くから製作、使用してきた原始的な木製錠です。
古代エジプトのラムスⅡ世(BC1290~1224)の時代にはすでに世界最古の木製錠の記録がありますが、
この忠実な後継者がこの「バンバラ錠」です。つまり3000年前からの歴史を秘めている錠なのです。
作動原理は現在、世界中で広く使用されているピンシリンダー錠と同一であり、
錠前界では貴重なものとされています。
当店のバンバラ錠はこの写真の他に数点ありますが、いずれも200年以上前のものです。(アフリカ)



【第8位】 覚眠器付錠
覚眠器とは目覚ましのことではなく、鍵穴のカバーを開けると音が鳴る、言わば防犯ベルと言うべきでしょうか。
この覚眠器付錠は明治28年(日清戦争の真っ最中!)二上外次郎氏が
特許(特許第2503号)を取得し、製作・販売したものですが、
15年後に特許が消滅すると同時にこの錠の細部を改良して再び特許権を申請し、
明治43年に「特許18722号」として再登場したのが下のものです。
同氏はこの特許権を日本製錠株式会社に売却して以後、この会社がこの錠を製作・販売する事になりました。
(富山県)






【第7位】 からくり錠
和錠を含めてアジアの錠前は機構の単純性と鍵違いの極端なまでの少なさのため、
関係がない合鍵で簡単に開けられる危険性を持っていました。
そこで簡単に開錠出来ない様に途中でいくつかの操作を必要とする装置を持った錠前を開発しました。
これらを「からくり錠」といいます。
当店で50種類近くあるからくり錠の中でも写真の錠は大変な代物でどうやっても鍵が鍵穴に入りません。
自称「鍵開け名人」がギブアップしたほどです。
「コロンブスの卵」の様に二度目からは簡単に開けられるはずですが、
これは駄目です。一度、偶然に開錠できても二度目はてこずります。
これを考案した錠前師のすばらしい才能に敬意を表したくなります。(中国)




【第6位】 手鎖(てぐさり)
江戸時代の手錠です。現代では容疑者の逮捕・連行時に使用されますが、
当時は捕り縄で済ませました。むしろ刑罰として使われました。
手鎖を付けたまま、一定期間、自宅で謹慎させられる刑罰です。
罪の重さにより、30日、50日、100日の区別がありました。この間、定期的に役人が点検に来ます。
手鎖の鍵穴に貼られた封印を剥がしたのが分かると大変です。
本人、及び手助けした者は死罪となりました。
手鎖は現代の手錠の様に太さを調整出来ないので太った人はさぞかし、苦痛だった事でしょう。
中央の手鎖は南京錠として鎖とは独立している大変珍しい形です。(日本)





【第5位】 最大の和錠
これは南京錠としては日本最大の物です。
縦200mm、横300mm、重さ12.5kg。
施開錠は一人では絶対に無理で二人がかりで扱わなければなりません。
約200年前の作品です。(日本)





【第4位】 阿波錠
阿波の国(現在の徳島県)は日本最大の藍(染物の原料)の産地でした。
この藍を発酵させる加工所(寝床と呼ばれていた)の両開きの引戸の錠でした。
この寝床は巨大な倉庫状のもので引戸も頑丈な造りだったので錠もそれに相応しく立派な物が製作されました。
その中でも本錠は特級品です。鍵穴は横にあります。
普通、鍵は押し出し式ですが、この錠は珍しく掻き出し式となっています。
縦145mm、横330mm、奥行80mm、重さ9kg。(徳島県)





【第3位】 涜三再告筮初(トクサンサイコクゼイショ)
錠の正面にこの文字が刻まれています。中国古典の「易経」の中の「修易上経」の「蒙」(モウ)の項にある一節です。
右から「初筮(ショゼイ)には告ぐ。再三すれば、汚れる」と読みます。
これは「誠意を込めた最初の問占には答えを告げるべきだが、
二度三度と迷って占いを繰り返す様であれば、占筮の神聖さが汚れるから告げるべきではない」という意味です。
(岩波文庫・「易経」上巻より)
何故この文が錠に刻まれたか?その理由は不明です。(中国)





【第2位】 菊の御紋章の錠前
江戸時代毎年正月を迎えると、徳川家では京都の朝廷へお年賀の使節として
儀典の専門家である高家衆の代表を選んで送りました。
あの吉良上野介もお役を務めた事があります。この時の献上品を納めた長持に付いていた錠前です。
材質は銅製で表側には御覧の様に天皇陛下の「菊」の御紋章が、
裏側には皇后陛下の「桐の葉」の御紋章が付いています。
蛇足ながらこれに対し、朝廷から答礼の使節が江戸に下りました。
この使節団の接待中に忠臣蔵の発端となる松の廊下の刃傷事件が起きたのです。(日本)





【第1位】 指輪鍵
数年前イスラエルのマサダ市で発掘された「指輪鍵」です。
鑑定の結果、今から約2000年前の西暦元年プラスマイナス50年前頃の物と分かりました。
当時イスラエルはローマ帝国の占領下でその植民地となっていました。
その頃のローマ人達は今のバスローブに似た「トーガ」と呼ばれるゆったりとした衣服を着ていました。
これにはポケットがないので貴重な財産、書類を入れた金庫の鍵を身に付ける為に指輪に鍵を仕込んだのです。
指の太さは人によって異なるので金庫発注時にオーナーの指に合わせて指輪も特注しました。
この財産のシンボルとも言うべき指輪鍵がやがて女性に捧げる婚約指輪、結婚指輪へと発展していくのです。
(イスラエル)